2014年 09月 02日
秋のはじめに
夜の帳が下りるころ、虫の音が涼風に流され傍から聞こえてきます。
夏の気配はすっかり消え、あたりは秋のにおいでいっぱいです。
前職の上司がもうすぐ喜寿という先週末に亡くなりました。
故人が残した式次第で、宗教色はなく内容はクラシック音楽葬となり、
ピアノの生演奏もあって、ハイソな雰囲気の中でのお別れの式でした。
故人の指名によって後輩代表のお別れの言葉は「らしい」簡素な内容で、
式を執り勧める司会者も故人の指名で、故人の段取りで進められました。
自らの人生の区切りに対して、
生前より断然と取り組まれたことに頭が下がる思いです。
辞世の句で、雲になって妻子住む町に浮かんでいたいという句に
思わず涙しました。
人はいつか必ず『死』を迎えねばなりません。
この必然的節目に対し毅然と向き合い、且つ、
受け入れることは、難しいことです。
『立つ鳥跡を濁さず』とは言え、中々『生きる』ことから
吹っ切れるまで、悟りきれるものではありません。
『死』を許容しながら、貪欲な生き様を成すことは、
相反する二つのように思えますが、
それがその人の迫力に、繋がるのかもしれません。
近頃、知人友人との寂しいお別れが多くなって、
自分も最後のシナリオを書いておかねばならなくなってきました。
by mikun77mukun
| 2014-09-02 11:28
| 日記